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実際に債務整理をした方の体験談

借金苦と債務整理を経験した主婦の方の体験談です。

 

夫が会社員を辞めた理由 そして借金地獄へのはじまり

 

25歳で結婚 大学生と小学生 2人の子供をもつ主婦です。学生時代から数年付き合ってた夫と結婚し 現在に至ります。
最終学歴 大学卒の私たちは 別々の会社ではありましたが お互い東京に本社をもつ一般企業の札幌支社の正社員として雇用され勤務し 私は技術員補助として 夫は営業マンとして 毎日 奮闘していました。
当時は いわゆる『バブルの真っ只中』で 現在の同世代と比べても 毎月の給料もよく ボーナスにいたっては 年2回 毎月の給料の2倍 3倍と貰っていた記憶があります。

 

その後 子供に恵まれ 私は退職したのですが 子供ができるまでの間は『経済的に困る』という経験など まるでなく 裕福で かつ有意義な生活を送っていたといっても過言ではありません。

 

私自身は技術補助という職種だったので 残業こそあれど 当然ノルマなどはなく 上司に指示された仕事をこなすといった日々でしたが 夫は営業マンという職種がら 営業成績というものが ついてまわります。ところが 学生時代のバイト先でも社員を上回るような仕事ぶりを発揮していた夫は 就職先の営業成績も右に出る者はなく トップクラスでした。トップクラスの営業マンが必ずといってもぶつかる壁 会社員の宿命ともいわれる『やってもやらなくても同じ給料』という自分自身の中での葛藤に この頃から悩み始めます。

 

「子供ができる前に自分たちの家がほしいね」という結婚直後の夢。半年ほどかけてのマンション見学。2人の合算収入も全く問題なく住宅ローンもとおり それなりの貯蓄もあったので 金銭的にも なんの迷いもなく マンションを購入しました。結婚してから1年。26歳の時です。
夫は『会社員であることへの疑問』を常に持ち続けながらも マンションを購入したことや今後の住宅ローンのことなどを考えると現会社を退職することへの1歩を なかなか踏み出すことができずにいました。

 

その後 第1子目を授かり 平穏な日々を送っていましたが 約10年後 夫に昇進の話が持ち上がります。昇進の条件として『2年間の東京本社研修』があり そこで また夫の中で『やってもやらなくても同じ 会社員であることへの疑問』が大きくなっていったのです。

 

もともと 人に使われることを好まず 自分でアイディアを出し展開していくことが得意だった夫は ここで 自分で会社をおこすことを考え始めます。そこで 目をつけたのが『ベンチャービジネス』といわれる 当時は まだ あまり耳にしたことのない事業でした。大学時代 経済学こそ学んだものの経営学とは無縁であった夫は 全くのゼロからのスタート。

 

子供が小学生中学年になった 私 37歳の時でした。ここから 人生最大の借金生活が始まります。

 

葛藤の中で夫が出した結論 それはベンチャー企業の立ち上げ

 

『営業成績がNo.1でもそうじゃなくても同じ給料や年功序列での昇進など会社務めであることへの疑問』と『家族を路頭に迷わせるわけにはいかない』という葛藤の中で夫が出した結論。それは自分で会社を立ち上げること。そして選んだのが『ベンチャービジネス』
ベンチャービジネスという言葉を検索すると『新技術や高度な知識を軸に大企業では実施しにくい創造的で革新的な経営を展開する小企業』と表示されます。

 

長い歴史をもった大手企業がなんの保証もないとてつもなくリスクの高いビジネスに投資するわけなどなく、必然的に小さな企業が少ない資金の中でコツコツと実績を積んでいくこととなるわけです。
今でこそ大企業である『楽天』や『GREE』なども夫が会社を立ち上げたと同時期にうまれた企業で『楽天』にいたっては立ち上げ当初は従業員6名から始まったと言われています。

 

夫が起業してからは共働き時代の貯蓄があったので、立ち上げから1年程度の生活費はどうにか賄うことができました。この頃、私のお腹の中に待望の第2子目の小さな命が宿ります。やっと2人目を授かったというのに家族が増えることへの喜びと同時にそれ以上の不安で潰されそうにもなりました。
貯蓄も生活費のやりくりが精一杯。しだいに底をつき始め、そこから少しずつ少しずつ歯車が狂い始めます。

 

まだお互いが独身時代、遊びに出かけたイベント会場の入り口で『カードを作ると入場料が半額になる』とか、カード会社勤務の友人に『ノルマがあるから1枚作って!』とか、ポイント欲しさとかの理由で作ったクレジットカードが十数枚、手元にあったのが今となっては幸だったのか不幸だっのかわかりません。

 

「○○クレジットカードあったよね?限度額いっぱいキャッシングしてきて」「大丈夫!来月○○から振り込みあるから」何度聞いたかわからないこの言葉。
公的な助成金や銀行からの融資、知人会社からの援助等で会社は少しずつまわりはじめたようにみえましたが、生活費が私の手元に入ってくるのは3ヶ月に1回程度となりました。十数枚のクレジットカードは1枚ずつ限度額いっぱい借り続け『1枚のカードの借金を返済するために別のカードでキャッシングする 』という『自転車操業』が始まったのです。

 

それでも根拠のない夫の「来月は大丈夫だから」「○○との取引が決まったから大丈夫」を信じ、借りては返し借りては返しを繰り返して3年。もうダメだ…限界だ…このままではいけない…と感じ始めますが、それを夫に伝えたら夫の言葉や頑張りを否定しているようで、なかなか言い出せない自分がいることも事実でした。

 

はまってしまったローン地獄 そして抜け出すための小さな扉

 

『ローン地獄』とか『自転車操業』なんて言葉は誰がつけたか知らないけれど、本当に言葉のとおりだとこの時ほど痛感したことはありません。そもそも『ローン』『借り入れ』など、返すあてのある者が行う行為であって、返せない者がやってはいけないことだと感じています。返すあてのない者がやってしまった場合、蟻地獄のように深い所まではまり、まさに自転車の車輪のようにどこまでも転がり続けます。

 

十数枚のカードで限度額いっぱい借り入れ、そしてカードローン返済のために別のカードから借りて返す。たまに入ってきたまとまったお金で返し借りる。その繰り返し。若い頃の自分では絶対に考えられない行為でした。

 

それでも人間とは不思議なもので、こんなことを繰り返していると頭の中が麻痺したとでもいうのか、カードで借りたお金がまるで自分たちの給料のように錯覚し、普通の生活を当たり前のように過ごすようになります。借りているお金なのに。

 

夫の「来月は大丈夫!」「今度はいける!」という根拠のない言葉を信じながら、もしかしたら自分たちのおかれている立場さえも振り返りたくなかったのかもしれません。完全に『逃避』です。もう少しで40歳を迎えようとしている時でした。

 

下の子が2歳になる頃、保育園に預け働くことを考え始めいくつかの園の見学にも行きましたが、時期が中途なために認可保育園にとうてい空きはなく、ならば無認可でもと出向きましたが保育料を支払うために働きに出るといってもいいほど保育料が高く、夫とも話し合いもう少し子供の年齢が上がるまで待つことにしました。

 

保険料が支払えず役所の窓口に出向き相談、上の子の学校の就学援助の手続き、幼稚園入園年齢を迎えた下の子の幼稚園の入園料に至っては「分割払いにしてほしい」と園長に頭を下げたこともあります。

 

「こんなことは前代未聞です」と言われましたが「お母様の熱意に負けました」と最後には認めていただけ当時の園長先生にはたいへん感謝しています。

 

下の子の幼稚園入園を控え3年ほどこんな生活を繰り返した時、私の中のまともな自分が気持ちをどうにか正常に戻そうと少しずつ動き始めます。このままじゃ駄目だ…この地獄から抜け出すためにはどうしたらいいのか…今の自分にできるとこはなんなのか…知識のない自分たちだけでは同じことを繰り返すだけ、専門家に相談して抜け出すためのアドバイスがほしい…と強く思い、役所の中にある『無料法律相談窓口』に足を運んでみることにしたのです。

 

そして、その気持ちを夫にも伝えました。ふたつ返事で納得しましたが、もしかしたら夫も私のこの言葉を待っていたのかもしれません。そして、私たちは2人で一緒に役所に向かいました。

 

地獄から抜け出すための小さな扉 そして大きな扉へのステップ

 

役所の中にある『無料法律相談窓口』に予約後、約束の日時に夫と2人覚悟を決めて出向きました。今思うと、あの時私たちの相談に対応してくれた人が法律の専門家だったのか、それとも単に役所の人だったのかはわかりませんが、30分という短い時間の中で自分たちが悩んでいる内容をまとめて話し終わる頃、担当の人が街中にある『弁護士事務所』の名前を出し、そちらに連絡をとり専門家に相談するよう教えてくれました。結局のところ、役所内の『無料法律相談窓口』とは詳しく相談にのってくれる所ではなく『弁護士事務所』を紹介してくれる所だったのか…と後で夫と2人納得しましたが、とりあえずは脱出の第一歩、小さな小さな扉を叩いたことには間違いはなかったのです。

 

それまで生きてきた中で、もちろん『弁護士事務所』など全く縁などなかった私たちですが、すぐに紹介された『弁護士事務所』に連絡をとり、後日伺うことを約束しました。この時の私の気持ちは今すぐにでも弁護士先生に会いたいという気持ちでいっぱいでしたが、たぶん夫も私と同じ気持ちだったに違いありません。それでも自分たちがしてきたことを強く否定されるのではないかという恐怖や弁護士事務所で相談をし整理してもらうわけですから弁護士先生への支払いなどの金額のことなどは常に頭から離れませんでした。「早く相談したい」「やっぱり怖い」という葛藤の中で戦った自分がいたのも事実です。でも、せっかく地獄から抜け出すための小さな扉を叩いたんです。もっと大きな扉を叩いて完全にこの『地獄』から抜けたさなくてはいけない!その強い気持ちが私の中にはありました。

 

約束に日、夫は仕事を調整して休みをとり、私は友人に事情を話し下の子を預け、弁護士事務所に出向きました。濃い茶色の重厚な扉を開けるとオルゴールの優しい音楽と受付にいた綺麗な受付嬢が出迎えてくれ、私の緊張も一気にほぐれていったのを覚えています。番号のついた個室に案内されてしばらく待っていると、優しそうな1人の弁護士先生が入室してこられました。その時の私は説明のしようのない安堵感と変な表現ですが「やっとこの人に会えた」みたいな自分の中からスッーと強い力が抜けていくような、そんな感覚に包まれたような記憶が残っています。そんな中、まずは弁護士先生の柔らかい優しい表情での自己紹介から始まりました。そして弁護士事務所に来た相談内容に移り今後の方針や弁護士費用など詳しい内容まで進みました。そして、私たちは弁護士先生から説明のあった『任意整理』という債務整理をすることを決意し、月に1回数ヵ月かけてこの弁護士事務所に通うことになるのです。

 

返済に追われる日々からの脱出 それが債務整理

 

大きさの違いはあれど、なんらかの問題や悩みをもって訪れるであろう『法律事務所』悩みによっては追い詰められ、自分が進むべき方向性すらわからなくなってしまっている人も少なくないことでしょう。そんな中で、ありったけの勇気を振り絞り『法律事務所』を訪問しドアを叩きます。

 

私たち夫婦もそんな中の1組でした。借金がどんどん膨らむ中「来月こそは大丈夫!」「絶対に成功する!」と信じ、その段階ではもはや自分たちにいくらの借金があるのかさえもわからなくなっている状態。それを過ぎると借りているお金がまるで自分たちのお金と勘違いし始めてしまう恐ろしさ。

 

それでも3年もの間、なにをしたらいいのかどうすべきなのか全く見つけられずにいた事実。今、思い起こしても身震いがするほど恐ろしい話です。

 

オフィス街から少し外れた場所にある古びたビル。エレベーターで上がると『O法律事務所』と名前のかかった重厚そうなドア。ノックをして中に入ると、いくつかの個室が左手に並び、受付には1人の女性。そしてオルゴール音楽のBGM。約束していた旨を伝えると空いていた個室に案内されました。説明によると、その『O法律事務所』は数名の弁護士さんが在籍している団体で、私たちの担当の弁護士さんも今現在、打ち合わせをしていない弁護士さんになるとのことでした。

 

数分後、私たちがいる個室に1人の弁護士さんが入ってきて「担当させていただくTと申します」と自己紹介。私たち夫婦も自己紹介をし、話は本題に入りました。

 

『どのような経緯でこの事務所に来たのか』『どのような相談内容か』雑談を交えながら話し、自分たちの職業や家族構成など一通り話し終えた所でT先生から以下のような説明がありました。

 

『すぐに債務整理を行なうことをすすめるということ。債務整理には@自己破産A個人再生B任意整理C特定調停の4つがあるということ』そして、その4つの違いの説明へと続きました。

 

@自己破産?裁判所で借金返済が無理と認められた場合、現在ある借金を全て処分。つまり返済の必要がなくなるが資産があると没収される

 

A個人再生借金を減らして3年間で返済する。資産の没収はない 

 

B任意整理?弁護士が債権者へ借金の減額や分割払いを交渉し完済を目指す

 

C特定調停?裁判所で第3者を間に入れて債権者との直接交渉ができる

 

実際にはこの4つの方法があるそうですが、その中からT先生の経験やアドバイスなどを聞き参考にしながら私たち夫婦に合った債務整理方法を検討しました。T

 

先生はあくまでも1番良い方向へ導いて整理や処理をしてくれるだけで、自己破産をし全ての借金を無かったことにするのか、少しずつでも長い期間をかけて支払っていくのか、最終的に決定するのは私たちなのです。夫が起業してから約5年後、43歳の時です。

 

返済に追われる日々からの脱出 そして任意整理へ

 

「借りた金はできる限りの範囲で返したい」と望んでいた夫。まだ仕事も軌道にのっていなかったことを考えると、その選択肢はとても無謀なものに思われ私自身は躊躇していましたが、T先生からこんな説明を受けました。

 

@自己破産とA個人再生を行った人は住所と名前が官報(国民に情報を知らせるために国が発行する機関紙)にのること。会社経営をしている夫には官報に名前がのるのは将来的に考えると不利益なこと。

 

C特定調停は個人交渉なので個人にかなりの知識を要すること」私に関しては住所が夫と同じでも夫婦であることがわかってしまう確率は低いとのことでしたが、この説明を受けた段階で私たちの気持ちは固まりました。返済義務は残りますが、私たちにとって1番メリットのある『B任意整理』をすることにしたのです。

 

そしてT先生は「今日、契約が成立した段階で、今後取り立ての電話があっても“弁護士に全て任せてあります”と伝えてもらってかまいませんから」と言いました。私たちはいわゆる『ヤミ金』と呼ばれる所からの借り入れは一切なかったので取り立てといっても恐ろしいものはなかったのですが、それでも多い時は1日に3回程度は取り立ての電話があり、そちらの対応には少し参っていたのも事実だったので、先生のその一言にはとてもホッとしたのを覚えています。やっと暗い暗い底から抜け出られる、引っ張りあげてくれる綱のようなものを見付けられたような、それは久しぶりに味わった安堵感でした。

 

ただ、やはりデメリットがあったのも事実です。「任意整理をするわけですから5年はカードは作れません。ということは5年間は何かを購入する時は全て現金払いになります。それと5年間は保証人にもなれません」とも伝えられました。大学受験を控えていた子供のことを考えると親が保証人になれないなんて辛いことでしたが、それも覚悟をしなくてはなりませんでした。

 

『債務整理にかかる費用』について尋ねると「着手金はかかりません。弁護士費用も借金を完済したあとに分割で頂きます」との返事に2人で頭を下げたことも昨日のように思い出します。それから私たちは『2週間に1度、弁護士事務所に来ること。次回は夫婦が持っている限りのクレジットカードと手元にある請求書や領収書、今までカード会社から引き落としのかかっていた通帳、月々の家計状態や会社の経営状況がわかるものを持参すること』と次回の訪問日時の約束をしてO法律事務所をあとにしました。

 

私たちの気持ちは晴れ晴れとしていましたが、私たちの本当の意味での戦いはここから始まったのです。

 

借金地獄から脱出への任意整理 そこからが本当の戦い

 

借金地獄から抜け出すためにやっと見つけた『任意整理』を始めるために、私たち夫婦はT先生に指示された書類を揃え約束の日時にO法律事務所に向かいました。
クレジットカードや領収書、引き落としがされていた通帳等を手渡し、夫の会社の実績や今後の仕事の受注見込みの書類等も提出。そこから1ヶ月にどれだけ支払っていくことが可能なのかを具体的に話し合いました。夫が「毎月必ず返済します」と言った金額は20万円。1ヶ月分の給料といっても過言ではないくらいの金額にあたるでしょうか。その金額を毎月返済にあて、その他に自分たちの生活費も確保しなくてはならない。もちろん従業員の給料も。そして会社の運営。不安な材料だらけでしたが、夫の言葉を信じT先生を信じ、やっていかなくてはならなかったのです。
私たちに説明された『利息は免除してもらい元金のみを分割で返済していく』という方法。クレジットカードだけで2人合わせて十数枚、毎月20万円といっても1社あたりで計算するとほんのわずかな金額だったのかもしれません。新たに夫名義の口座を1つ作ることを指示され、今後はその口座に夫が毎月20万円を入金しO法律事務所がその20万円を各クレジット会社に分配返済していくという説明も受けました。しばらくの間2週間に1度はO法律事務所を訪問し、世間話を交えながら現在の経営状況や生活状況などをもとに今後のことを話し合いましたが、毎月20万円の入金も滞ることがなかったのでO法律事務所への訪問の回数も少しずつ減っていきました。
もちろん『借金地獄』から抜け出すために選択した『任意整理』だったのですが、それでもやはり毎月20万円の返済はかなり厳しく、夫婦にとっての本当の戦いはここからでした。私が43歳の時です。
全く理不尽な話でこんなことは本来あってはならない話ですが、任意整理をする前はクレジットカードが自由に使えて『困った時は借りてどうにか過ごす』という生活でした。任意整理をしている時はとうぜん借り入れはできません。ということは夫と私が働いて稼いだお金だけでやりくりしなくてはいけないということです。とはいってももちろん思い通りの給料が貰えるわけではなく、数ヶ月の間全く給料が入らない月もありました。
それでもこの頃には上の子は中学生で下の子も幼稚園入園となり、私も働きに出られることを再認識して本格的に仕事探しを始めました。間もなくして仕事が決まり、私自身もとりあえず食べることだけには困らない程度の数万円は稼いでこられるようになったのです。お恥ずかしい話ですが田舎に住む実父母や夫の母からの援助金や友人たちからの配慮にはどれだけ救われたことかわかりません。
今思うと、もしかしたら私たち夫婦の本当の意味での地獄はこここら始まったのかもしれません。それでも私たちは『確実に抜け出せる地獄』であることを確信していました。

 

任意整理に奮闘中の私たち夫婦 そんな時実家から1本 の電話

 

弁護士事務所に通い『任意整理』をすることに決めた私たち夫婦。債権者からの返済の催促という縛りはなくなったものの、毎月の返済で金銭面ではかなり苦しくなり、あらゆる所できりつめなければならない生活が始まりました。そんな生活の中ようやく2年が過ぎようとしていた頃、田舎に住む実父から1本の電話が入ったのです。「Y子(私の名前)に謝らなきゃならないことができた」と。80歳を過ぎた父が娘の私に今さらなにを謝らなきゃならないんだろう?考えながら尋ねると父は「お父さんが昔作った借金の残金の請求がきた」と言うのです。「そしてY子も連帯保証人になっている」とも。その借金の金額は2,500万円という想像もつかないほどの金額でした。

 

田舎に住む実父は私が物心ついた頃には自分で設備業を経営しており、当時は数名の従業員を雇い生計をたてていたのを子供心ながら記憶しています。周りの家がまだ白黒テレビだった頃、すでにカラーテレビが自宅にあるほど当時は裕福でなに不自由なく生活していたのも覚えています。ところが私が19歳を迎える短大生の頃から経営が傾いてきていたことを私がある程度の年齢になった時に聞かされました。会社経営を始めて16年ほどたった頃、父がもうすぐ60歳を迎えようとしていた時です。父の仕事仲間である同世代の人たちがそろそろ自分の息子たちに社長の座を譲ろうと世代交代を始めた時、父にとって娘である私は高齢で授かった子供でまだ学生でもあったし娘に会社を継がせる意志も父にはなかったそうで、周りが2代目若社長に変わる中、父は1人で頑張っていました。ところが、やはり世代交代をすると横の繋がりも薄くなり、父の会社にくる仕事量が激減していくのは防げなかったようです。父が60歳を迎えた頃、事実上の倒産という形で会社経営を辞めました。手元に借金だけが残ったそうですが、人当たりがよく優れた技術をもつ父を迎え入れてくれる会社が多くあり、現場監督として働きながら借金は全額返済をしたと聞いています。

 

倒産時の借金がようやく片付いたと一安心していた頃、父が会社経営をしていた時にお世話になっていたというB氏から『マンション経営』の話が持ち上がり、根っからの商売人であった父は設備会社を倒産させたことで猛反対の母の意見も聞かず、再び借金をしてマンション経営に乗り出したのです。父が65歳、私が25歳の時です。そしてこれが『父も母も私も自己破産に追い込まれる』ことになった話の始まりになります。

 

再出発の道である任意整理 そしてもう1件の債務整理の危機へと追い込まれます

 

自分自身の債務整理中、田舎に住む実父からの1本の電話でもう1件の債務整理の危機へと追い込まれてしまいます。
父の話をまとめると「25年前にB氏に持ちかけられたマンション経営を始めるために銀行から9000万円の借入をしたこと。その連帯保証人が母と私であること。数年間はマンション経営もうまくいき予定どおりの返済もできていたが徐々に入居者が減り返済が厳しくなったこと。当時、私と同じ街に住む父の古くからの友人N氏に紹介された建設会社に負債ごと(約7500万円)権利の譲渡をしたこと。10数年経った今から5?6年ほど前にその建設会社も倒産に追い込まれ返済が滞り銀行より債務者である借入名義人の父の所に残金2500万円の支払命令が届いたこと」こんな内容でした。

 

支払命令が届く前にも何度が銀行からの電話はあったそうですが詐欺かなにかと勘違いし放置しておいたと言います。支払命令と銀行からの電話。話の内容から20年ほど前のマンション経営の時の話と結び付き、銀行からの「連帯保証人である娘さんにも請求がいく」という言葉に慌てて私に連絡を入れたと言います。謝るばかりの父に私の頭の中もパニックでした。

 

やっと夫と私が任意整理を始めて2年。苦しいながらもどうにか頑張っていた時です。とうてい2500万円などという借金は返せるわけがなく「今度こそ自己破産をしなければならない」という危機に追い込まれてしまったのです。

 

自分たちの債務整理の毎月20万円の返済は決して楽なものでなく、夫と顔を合わせれば「今月の支払いは?」「お金が足りない」などとお金の話ばかり。お互いが精神的にいっぱいいっぱいで思いやる気持ちなどもてきず正直なところ毎日がギスギスしていて、今回の実父の借金や保証人の件を夫に話せない日が続きました。しかし、私が自己破産となると2年前の債務整理時、任意整理を選んだ意味が全くなくなってしまいます。『自分が父の借金で自己破産する時は離婚も覚悟しなくてはならない』と決心し、その旨を夫にも話しました。同じように会社経営の道を選んだ父のことを夫は攻めませんでしたが、もちろん力になってくれるようなことを言ってはもらえず、父の件に関しては全て私が処理をするという形に収まったのです。

 

ところが私には2つの大きな疑問が引っ掛かっていました。

 

@負債ごと譲渡したのになぜ借入名義は父なのか?
A連帯保証人の欄の私の名前の筆跡が明らかに自分ではない

 

ということです。その2つを父に確認すると「譲渡する時に名義変更はできないと銀行に言われた。
母がY子にサインをもらったはずだ」と言うのです。そんなことが本当にあるのだろうか?
借入名義と支払者が別。確かに親子や特別な関係で考えると全くない話ではないのでしょうが7500万円もの権利譲渡です。

 

今回のような話に発展した場合、かなりの不利な危機に追い込まれてしまうのは目に見えていたはずです。しかも友人であるN氏を信じ、その建設会社とは口約束でなんの書類も交わしていないと言います。しかも娘である私は自分がサインをしていないかもしれない連帯保証人として自己破産しなければならないかもしれなくなったのです。

 

父にはすぐに母と一緒に地元の弁護士さんに相談に行くようにすすめましたが、またここで問題が発覚。任意整理中である連帯保証人の私が再度債務整理をする場合、現在自分がお世話になっている法律事務所で処理した方がいいのではないかということでした。

 

80歳を過ぎた実父母に私が住む街まで出向かせることは酷だとは思いましたが、そこは心を鬼にして申し出ました。「お父さん、自分が起こしたことだから最後まで自分で決着つけてほしい」と。

 

5任意整理期間5年 それから2年経過 夫婦が選んだ道に後悔はありません

 

『馬鹿がつくくらいのお人好し』

 

N氏を信じ紹介された建設会社となんの書類も交わさずに権利譲渡した父。

 

これが大人の男がやることかと情けなくもなりましたが、ここで立ち止まっているわけにもいかず実父母と私で再度O法律事務所へ出向きT先生に相談することに決めました。私が債務整理中であることを踏まえるとやはりO法律事務所を選んだことは正しい選択だったことをT先生に伝えられ、そこから父と母の債務整理が始まりました。父と母が年金生活であることや財産もないことを理由に自己破産の手続きをとることをすすめられました。

 

高齢であることから2度目以降の面談はT先生が父母の住む田舎に出向いてくれて自己破産が裁判所によって認められ4年が経ちます。私に対する債権者からの支払命令は未だ届いておらず、T先生の話によると「連帯保証人としてサインをした時の住所も現在とは違うしなにより結婚して名字も変わっている。銀行とはいえ本人を探しだすには探偵をつかったりお金もかかるので探しても自己破産するような金額だと探さない場合もあるので支払命令が届く確率は極めて低い。請求権は5年なので5年の間に届かなかったらそれ以降はあり得ない」とのこと。父母の自己破産が認められてからまだ4年。

 

請求権の5年は経っていないので、私自身は未だ自己破産の縛りからは解放されていませんが、とりあえず田舎に住む父母が弁護士費用を少しずつ支払いながらも年金で慎ましく生活できるようになったことに安心しています。

 

私たち夫婦も2年前に毎月20万円の返済を終えました。現在でも決して贅沢などはできず毎月の住宅ローンや食費、その他の生活費などのやりくりに追われていますが、とりあえず必要最低限の支払いができるようになったことに一安心しています。

 

毎月20万円の支払いを5年間続け、単純に計算しても1200万円。準備金などを入れるとその金額をはるかに越えているはずです。その間には子供の進学や他にも多くの出費もあり、頑張り抜いてくれた夫には本当に感謝しています。そして、姑や実父母の援助、友人たちの優しい配慮にも本当に頭が下がります。今回の債務整理に関してはまるでドラマの中の出来事のようで、それでも『毎日頑張っていたら報われる』と実感した経験でした。

 

私の40代の10年間は波乱万丈でしたが、この貴重な経験を忘れずにこれからも家族で過ごしていきたいと思っています。

 

『債務整理』や『自己破産』と聞くと悪いイメージに捉えがちですが、決してそれだけではないことを伝えたいです。1歩を踏み出すにはとても勇気が必要です。デメリットも確かにありますが、それでも雪だるま式に膨れ上がり転がり続ける借金まみれの生活を送っていくよりはマシです。

 

借金に苦しんでいる人は勇気を振り絞って1歩を踏み出して下さい。
私は自分が選んだ『任意整理』の道に後悔はしていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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